「世のため、人のため、未来のため」

 わたしたちは何のために働いているか、と問われたら、こう答えるでしょう。
もちろん、自らの成長のため、日々の糧を得るため、等、それぞれの働く目的はあるかもしれません。
ですが、主語が「わたしたち」になったとき、それは少し変わってきます。
 わたしたちのつくる製品は、主に住宅となり、お客様の安全、安心の基盤となります。
と、同時に、まちを構成する要素となります。それは景観であったり、美観であったりといったところにも通じます。このように、わたしたちのつくる製品は、わたしたちの手を離れてから、何年、何十年とその役目を全うしていくのです。
 住宅の長寿命化で、50年、60年と長持ちする家がありますが、いわゆる古民家と呼ばれるものの中には、100年、200年とそのまちの景観を形成しているものもあります。
ミサワホームの歴史自体がまだ60年に満たないため、それ以上のものはありませんが、今後、その役割を全うしてくれる住宅が出てくれることでしょう。
これが、わたしたちの大切にする「世のため、人のため」です。

 そのために忘れてはならない言葉が「より良いものを、より安く」という言葉です。
製造業の鉄則、といってもよい考え方ですが、昨日より今日、今日より明日、
良いものを生み出し、それをより安いコストで造る、ことが製造業の大命題です。
(この言葉は、決して物を買う側にまわったときに使ってはいけません)
そのために、日々改善をし、1秒でもサイクルタイムを縮める努力をしたり、
ひとかけらの木片でも再生利用できる工夫をしたりするのです。

 倉敷紡績(現在のクラボウ)の経営者、大原孫三郎は、明治13年、倉敷に生まれ、
若いころこそ放蕩の限りを尽くしましたが、
社会事業家・石井十次に感化されてのち、倉敷紡績に入社、生産性向上は労働環境の改善がカギ、ということで様々な取り組みを行いました。
 当時は、工員が初等教育すら受けていないことも当たり前でした。
大原は、工場内に尋常小学校(現在の小学校)を設置、教育を施しました。
また、倉敷商業補習学校(現在の倉敷商業高校)を設立し、働きながら学ぶ工員の教育を支援しました。
さらに、学びたくても資金がない地元のこどもたちのために大原奨学会を開設したり、
大原美術館を設立して、西洋絵画を収集して展覧会を開くなど、
明治期の教育や文化の普及、向上にも大きな役割を担っています。
 このほかに、工場内に幼稚園を設置したり、労働環境改善のための研究所を開設したり、
病院を設置して、社員のみならず、市民の診療もしていたそうです。

 大原孫三郎については、詳しくはそれぞれで調べていただきたいところですが、
彼は生産性向上で得た利益を、会社の為にも使いましたが、先に述べたように、
教育の普及や芸術文化の向上、労働衛生環境の改善に充てました。
 時代のあおりで、批判された時期もありましたが、信念を曲げることなく進めました。
それは、教育を受けることで知識や技能を身に付けてできることが増えたり、
病気やけがにおびえることなく業務に従事できたり、
こどもの面倒を見ることを気にせずに出社できたりすること、すなわち、
従業員が業務に集中できる環境づくり、つまり労働環境の改善こそ、さらなる生産性向上に資すると考えたのです。

 労働環境の改善、と一言にいっても、とても多くの事柄があります。
現在、厚生労働省によれば、長時間労働の抑制、安全・健康の確保、仕事と家庭の両立のしやすさ、
処遇の改善等々、多岐にわたります。これらを改善していくことで、生産性が向上し、さらなる利益を生んでそれをまた再投資する、という好循環を生み出すことが重要なのです。

企業は社会課題や地域課題に事業をもって応えることを使命とします。
「企業」とは何かを辞書でひも解くと、
「営利を目的として一定の計画に従って経済活動を行う経済主体(経済単位)」となります。
では、その得た利益はどのように使われるべきか。

 まず第一に、企業に参画して事業に従事する者(みなさんのことです)の待遇改善、
続いて、将来のための投資、いざというときの蓄えや備え、そして、社会への還元です。
大原のなしてきたことは、結果的に社会へ還元することが多くなりましたが、
これはのちに福利厚生という考え方になるものでした。

 先ほどの企業の使命に戻ると、社会課題や地域課題の中には、従業員の生活向上ということも含まれます。
これからも、みなさんが安全・安心な美しい職場で、環境に優しく、効率良い生産活動を通じて製品を提供できるために様々な投資をしてまいります。
 自動化や自働化、省力化もさることながら、どうしたら働きやすいか、といったことの改善も進めていきます。
 このことは、わたしたちの「未来のため」であるといえます。いま現在働くわたしたちが働きやすい会社にしていくこと、それは即ちこれから入社してくる新しい仲間たちにも働きやすい会社をつくっていくということです。「世のため、人のため、未来のため」を意識して、一歩ずつ歩みを進めていきましょう。


 さて、話は少し変わりますが、10月は個人的に大きな行事があったので、ご報告します。
10月10日に、隣接する北杜市立甲陵高等学校及び旧長坂高等学校の設立70周年の記念式典がありました。
この式典の中の同窓会総会の決議をもって、同窓会会長に就任しました。
長く副会長を務めさせていただいていましたが、あらためて、70年という年月の重みと、
6千名を超える卒業生たちのことを考えると身が引き締まる思いです。
ようやく、県内の企業の中でも「甲陵出身」というのが浸透してきていますので、
これからさらなる卒業生ネットワークの構築と在校生のための支援を念頭に活動していきたいと存じます。
 また、10月22日には、甲陵高校スーパーサイエンスハイスクール(SSH)の運営指導委員会に出席、
生徒のみなさんの研究発表を聞かせていただきました。まだ中間報告とのことでしたが、
様々な分野の研究課題を「サイエンス」で解き明かしていく姿勢は素晴らしいと感じました。

 また、10月17日、18日の両日、清里清泉寮にて、ポール・ラッシュ祭~八ヶ岳カンティフェア~2026が開催され、ポール・ラッシュの会・会長並びにポール・ラッシュ祭実行委員会副委員長として、参加してきました。社員のみなさんも、お祭りに参加したり、出店にかかわってくれたりしていただきました。
本当にありがとうございます。
 今回も、山梨住宅工業、Laatikko、八ヶ岳フィンランド協会といくつかの役割で参加していますが、
個人的には、進行チームの責任者ということで、二日間のステージ進行を担当しました。
かれこれ15年ほどこのお祭りにかかわっていますが、この2、3年ほど、地域とのつながりを意識した年はありませんでした。
 というのも、コロナ禍を経て、お祭りをどう復活させるか、というところから始まり、
「誰のための祭りなのか」「何を目指して開催するのか」「この祭りの担い手はだれなのか」といったことを歴史も含めてかなりスタッフ間で議論してきました。むしろ、コロナ前にはあまり考えてこなかったことです。
このことは、企業理念を確立させるときに必ず考えることでもあります。あらためてこれを考えることで、
若い担い手のみなさんが多く参画してくれたように感じます。
そのうえで、さらに良いお祭りにしていくためには、歴史に学びながらも、時代にあわせて変化していく柔軟性を持ちながら、自らの姿を変えてゆくことが大切です。このことも大きな学びとなりました。
変えてはいけないものと変えなければいけないもの、これをしっかりと見極めていくことこそが、
長く生き残っていける条件であると感じました。

 みなさんの大切にしたいこと、変えていきたいことは何ですか?